海が割れた日(2024年8月)

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  • 主人公(エイミー)=25歳。高浜市のケアハウス(軽費老人ホーム)で働く職員。介護福祉士と社会福祉士の資格を持っている。働き始めてから今年で5年目。明るくて元気が取り柄。毎年恒例のケアハウス夏祭りの企画と運営を担当する・・・
  • ミサト=89歳。ケアハウスに入所して10年。普段から口数は少ない。親しくなった入所者たちはどんどん先に逝き、仲良くなった職員はどんどん転職していなくなっていく・・・

<シーン1/ケアハウス出勤>

■SE〜朝のイメージ(小鳥のさえずり)

「おはようございま〜す!」
「ちょっ、みんな、もう起きてんの?」
「新聞配達より早いんじゃない?」
「朝ごはんまで、まだ1時間以上あるんだよー」
「まあゆっくり新聞読んで、くつろいでてー」
「さ、今日もがんばるぞ、私!」

私は、エイミー。
高浜市内のケアハウスで働いている。

あ、ケアハウスっていうのは、高齢者施設のひとつ。
自宅で生活するのが難しい高齢者が食事や洗濯のサービスを受けながら暮らしているの。
またの名を、経費老人ホームC型。

まずは、昨日の宿直と夜勤から申し送りしてもらってと。

あー、マサヒロさん。夜中にまた7回もコールしたのね。
まあ、でも大事でなくてよかったか〜。

ユウジロウさんは、おもらししちゃったの。
入所したばかりで、緊張してるのかな。

ミサトさんは、37度5分の熱発?
夏風邪かしら。ちょっと心配。

え?はい、所長
なんですか?

「夏祭りの企画〜!?
そんなん、もっと適任者にお願いしてくださいよ〜
私、社福士と介福の資格両方持ってるから相談も聞いて、介助もしなくちゃいけないんですよ」
「今年は入所者・職員全員参加〜?」
「そんな、ご無体なこと言われても〜」
「来年戦後80年だから戦争体験の話?」
「来年80年だったら来年やればいいじゃないですかぁ」
「そうじゃん、いまうちの施設、戦争を体験してる80歳以上の人なんて、1人しかいませんよぉ」
「じゃあ、みんながその人から聞けばいい?」
「えー、84歳のミサトさん、人前でなんて絶対しゃべれませんよぉ」
「ちょっと。ちょっと所長、どこ行くんですかぁ」

逃げたな。

仕方ない、これも仕事。
朝食介助のときに、ミサトさんに話してみるか。

<シーン2/朝食風景>

■SE〜朝食のガヤ

予想通り。
けんもほろろ。

そりゃそうだ。
普段から口下手で人と話すのが苦手なミサトさん。
こやって言うに決まってんじゃ〜ん。

だけど。

そうも言っていられない。夏祭りは1週間後。
あの手この手できりくずさないと。

やっぱだめか。

お。これは覚えてるときの言い方。
あと一歩。

よしっ。ヨイショ攻撃全開。

終戦の年だよな。

おお。さすがリベラル。でも、ご家族は?

特攻!それはまた・・・

え?
高浜は空襲なんてなかったはずじゃ・・

戦争より辛いこと?
それって・・

三河地震?
知らない。
戦争特集でも全然ニュースにならないし、そんな大きな地震だったの?

朝食の時間が終わる。
ミサトさんの口はまた、貝のように閉じてしまった。

ミサトさんの車椅子を部屋まで押していく。
ベッドへ移乗しようとしたら、このままでいいと言う。
横になると寝てしまうからだそうだ。
ミサトさんは1人用の茶箪笥に置かれた写真立てを眺めている。
セピア色の印画紙には、小さな女の子とその兄、父母と祖父の5人が並んで写っていた。
ミサトさんの家族かな。
一度丸めてしわだらけになったような写真を伸ばしてある。
ところどころが破れかけていた。

私は、ミサトさんの部屋を軽く掃除したあと
昼食準備までの間に、ネットで調べてみる。

三河地震。

1945年1月13日午前3時38分23秒。
愛知県三河湾で発生したマグニチュード6.8の直下型地震。

え?

マグニチュード6.8?

そんな!
被害は?

幡豆郡と碧海郡で死者2,652人!?

うそ!
こんな大災害をどうして私、知らないの?
みんなは知ってるの!?

青ざめた私の背中を、誰かがちょんちょん、とつつく。
車椅子のミサトさんだ。

顔は相変わらずぶすっとしてるけど、
私の制服をつまんで、引っ張る。
私は、所長に事情を話して、喫茶室へ連れていった。

<シーン3/喫茶室の独白>

■SE〜喫茶室の雑踏

顔は相変わらずぶすっとしてるけど、はっきりした口調でミサトさんが語り出す。

「だって、だって」

「ううん、そうじゃなくて」

恥ずかしいの。
私たち、なんにも知らずに今まで生きてきて。

そんな大きな犠牲の上に、私たちの命って生まれているんだって。

「今日録音したミサトさんの話を編集して映像にするわ。
お部屋の写真もお借りできる?」

「あ、持ってきくれたの?」

そっかぁ。

結局、今年の夏祭りはミサトさんの話を編集して映像にした。
それを集会室で流す。
同時にロビーで写真展を開いた。
ミサトさんの家族写真を大きく引き伸ばして中央へ。
あとは三河地震の資料写真を、市役所から借りてパネルにした。

その上には書道の先生でもあるミサトさんの直筆でこう書かれている。

訳はこうだ。

世の中の様子が、いまのようにいつまでも変わらずあってほしいものだ。
波打ち際を漕いでゆく漁師の小舟は、舳先(へさき)にくくった綱で陸から引かれている、ごく普通の情景が切なくいとしい。

高浜も刈谷も碧南も西尾も
関東も関西も
日本も世界も

この愛しい情景を守らなければいけない。

衣浦の波間を、切ない声をあげて、海鳥たちが飛んでいった。

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