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ボイスドラマの内容
設定
- 主人公(エイミー)=25歳。高浜市のケアハウス(軽費老人ホーム)で働く職員。介護福祉士と社会福祉士の資格を持っている。働き始めてから今年で5年目。明るくて元気が取り柄。毎年恒例のケアハウス夏祭りの企画と運営を担当する・・・
- ミサト=89歳。ケアハウスに入所して10年。普段から口数は少ない。親しくなった入所者たちはどんどん先に逝き、仲良くなった職員はどんどん転職していなくなっていく・・・
<シーン1/ケアハウス出勤>
■SE〜朝のイメージ(小鳥のさえずり)
「おはようございま〜す!」
「ちょっ、みんな、もう起きてんの?」
「新聞配達より早いんじゃない?」
「朝ごはんまで、まだ1時間以上あるんだよー」
「まあゆっくり新聞読んで、くつろいでてー」
「さ、今日もがんばるぞ、私!」
私は、エイミー。
高浜市内のケアハウスで働いている。
あ、ケアハウスっていうのは、高齢者施設のひとつ。
自宅で生活するのが難しい高齢者が食事や洗濯のサービスを受けながら暮らしているの。
またの名を、経費老人ホームC型。
まずは、昨日の宿直と夜勤から申し送りしてもらってと。
あー、マサヒロさん。夜中にまた7回もコールしたのね。
まあ、でも大事でなくてよかったか〜。
ユウジロウさんは、おもらししちゃったの。
入所したばかりで、緊張してるのかな。
ミサトさんは、37度5分の熱発?
夏風邪かしら。ちょっと心配。
え?はい、所長
なんですか?
「夏祭りの企画〜!?
そんなん、もっと適任者にお願いしてくださいよ〜
私、社福士と介福の資格両方持ってるから相談も聞いて、介助もしなくちゃいけないんですよ」
「今年は入所者・職員全員参加〜?」
「そんな、ご無体なこと言われても〜」
「来年戦後80年だから戦争体験の話?」
「来年80年だったら来年やればいいじゃないですかぁ」
「そうじゃん、いまうちの施設、戦争を体験してる80歳以上の人なんて、1人しかいませんよぉ」
「じゃあ、みんながその人から聞けばいい?」
「えー、84歳のミサトさん、人前でなんて絶対しゃべれませんよぉ」
「ちょっと。ちょっと所長、どこ行くんですかぁ」
逃げたな。
仕方ない、これも仕事。
朝食介助のときに、ミサトさんに話してみるか。
<シーン2/朝食風景>
■SE〜朝食のガヤ
「話すことなんてないよ」
予想通り。
けんもほろろ。
そりゃそうだ。
普段から口下手で人と話すのが苦手なミサトさん。
こやって言うに決まってんじゃ〜ん。
だけど。
そうも言っていられない。夏祭りは1週間後。
あの手この手できりくずさないと。
「うるさいなあ」
「ほっといてくれ」
やっぱだめか。
「戦争のことなんて覚えとらんて」
お。これは覚えてるときの言い方。
あと一歩。
「10歳のとき?」
よしっ。ヨイショ攻撃全開。
「そりゃ可愛かったさ」
「国民学校の初等科で私より可愛い娘はおらんかったわ」
終戦の年だよな。
「戦争?あんなもんクソじゃ」
「馬鹿が始めた負け戦じゃ」
おお。さすがリベラル。でも、ご家族は?
「ああ、みんな死んだよ」
「おじいさまは南方へ行ったと思ったらすぐに戦死の紙が届いた」
「紙っきれ一枚じゃ」
「とうさまは知覧の特攻隊じゃ」
特攻!それはまた・・・
「でもな。そんなんわしらの預かり知らぬ遠い世界での話」
「目の前。高浜ではもっとつらいことが起きたんじゃ」
え?
高浜は空襲なんてなかったはずじゃ・・
「戦争よりもっと辛いことがあった」
戦争より辛いこと?
それって・・
「三河地震じゃ」
三河地震?
知らない。
戦争特集でも全然ニュースにならないし、そんな大きな地震だったの?
朝食の時間が終わる。
ミサトさんの口はまた、貝のように閉じてしまった。
ミサトさんの車椅子を部屋まで押していく。
ベッドへ移乗しようとしたら、このままでいいと言う。
横になると寝てしまうからだそうだ。
ミサトさんは1人用の茶箪笥に置かれた写真立てを眺めている。
セピア色の印画紙には、小さな女の子とその兄、父母と祖父の5人が並んで写っていた。
ミサトさんの家族かな。
一度丸めてしわだらけになったような写真を伸ばしてある。
ところどころが破れかけていた。
私は、ミサトさんの部屋を軽く掃除したあと
昼食準備までの間に、ネットで調べてみる。
三河地震。
1945年1月13日午前3時38分23秒。
愛知県三河湾で発生したマグニチュード6.8の直下型地震。
え?
マグニチュード6.8?
そんな!
被害は?
幡豆郡と碧海郡で死者2,652人!?
うそ!
こんな大災害をどうして私、知らないの?
みんなは知ってるの!?
青ざめた私の背中を、誰かがちょんちょん、とつつく。
車椅子のミサトさんだ。
「少しだけ・・・思い出した」
顔は相変わらずぶすっとしてるけど、
私の制服をつまんで、引っ張る。
私は、所長に事情を話して、喫茶室へ連れていった。
<シーン3/喫茶室の独白>
■SE〜喫茶室の雑踏
顔は相変わらずぶすっとしてるけど、はっきりした口調でミサトさんが語り出す。
「日にちはもう忘れたけど、1月じゃ。
年が明けて2週間くらいやったかな。
盆も正月もないからわからん。戦争中は。
真夜中に、ものすごい大きな音と横揺れで目が覚めた。
かあさまは、わしを抱いて玄関まで走る。
わしを玄関の外に放り出してから”乾パンをとってくる”言うて戻らっしゃった。
それからかあさまを待っておるとな、ものすごい大きな揺れがきた。
ほんで、ガラガラガラガラいう音とともに家はぺっしゃんこになった。
わしの目の前でじゃ。
玄関の扉は開いておるのに、人が入る隙間もない。
なのに、そこから手が出ているんじゃ。
生気を失った指先に握られていたのは、乾パンとくしゃくしゃになった家族写真。
わしは、それを受け取って、必死でかあさまの名を呼んだ。
何度も。何度も。
だがすぐに、知らない大人が私を抱き抱えて海の方へ走り出した。
後ろ向きに抱き抱えられたから、家の様子が見える。
隣から燃え移った炎で、あっという間に火柱が上がった。
水。水。かあさまがやけどしちゃう。
子どもってばかじゃろう。
かあさまはもう死んでいるのに。
おい、エイミー。
話を聞くんじゃないのか。
泣いてどうする」
「だって、だって」
「続けるぞ。
わしを抱いて逃げてくれたおじさんも途中で足を滑らせてな。
わしを庇ったまま頭を地面にうちつけたんじゃ。
それで一貫の終わりやな。
なに?
放り出された10歳の子どもになにができる?
1月。冬の真っ最中に。
泣こうにも声も出やせん。
そのままずうっとはだしで走った。
気がついたら専修坊に着いとったわ。
寺で炊き出しやっとって、塩むすびを口にした。
涙が枯れそうになるまで泣いたから、まあしょっぱいことしょっぱいこと。
でもな、どんなに腹がすいても、かあさまからもらった乾パンは終戦まで食べんかったな。
こんな、地獄絵図のような世界が目の前に広がっとるのに新聞も中部日本以外はなんも書かん。
三河の人間しか地震のことは知らんのだ。
戦時中というのはそういうこと。
救援物資も救援団もこなかったけど、わしらがなんで生き残れたか、わかるか?
”絆”じゃよ。
人と人の絆。町と町の絆。
高取も吉浜も高浜もない。
み〜んなで助けあったんじゃ。
ほいであとから聞いたら、名古屋の三菱へいっとった兄さまも空襲で亡くなっとったと。
こんでほんとに天涯孤独だわな。
ただな、とうさまとじいさまが、大きな畑を残してくれとったで、親戚のもんが、それをお金にかえてくれて、わしを中学まで出してくれたんじゃ。
わしは百姓やりながら勉強までできて、親兄弟みんな死んだのに、恵まれとったなあ。
うん?
おいおい、元気だけが取り柄のエイミーが湿っぽい顔をするんじゃない」
「ううん、そうじゃなくて」
恥ずかしいの。
私たち、なんにも知らずに今まで生きてきて。
そんな大きな犠牲の上に、私たちの命って生まれているんだって。
「少しは役に立てたか?」
「今日録音したミサトさんの話を編集して映像にするわ。
お部屋の写真もお借りできる?」
「写真ってこれか?」
「あ、持ってきくれたの?」
「どこ行くにも持っとるわ。
わしがこの世に生まれた証しはこれしかないからの」
そっかぁ。
結局、今年の夏祭りはミサトさんの話を編集して映像にした。
それを集会室で流す。
同時にロビーで写真展を開いた。
ミサトさんの家族写真を大きく引き伸ばして中央へ。
あとは三河地震の資料写真を、市役所から借りてパネルにした。
その上には書道の先生でもあるミサトさんの直筆でこう書かれている。
『世の中は 常にもがもな 渚(なぎさ)漕ぐ
海人(あま)の小舟(をぶね)の 綱手(つなで)かなしも』
訳はこうだ。
世の中の様子が、いまのようにいつまでも変わらずあってほしいものだ。
波打ち際を漕いでゆく漁師の小舟は、舳先(へさき)にくくった綱で陸から引かれている、ごく普通の情景が切なくいとしい。
高浜も刈谷も碧南も西尾も
関東も関西も
日本も世界も
この愛しい情景を守らなければいけない。
衣浦の波間を、切ない声をあげて、海鳥たちが飛んでいった。