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ボイスドラマの内容
設定
- 主人公・ルイ(28):セントレア空港のロスト&ファウンド係。几帳面で冷静、でも実は学生時代バスケ部でNBAの大ファンだったがインターハイ予選の決勝でセカンドチャンスを外して敗退。それがきっかけでトラウマに。
- エバン・ヒーロー(24):NBAのベンチメンバー(補欠)。来日試合のためにセントレア経由で入国。誰よりも努力家だが入団以来公式戦で得点がない。日本が嫌い
[シーン1:インターハイ決勝のトラウマ/2015年8月高浜市体育館(碧海)】
◾️SE:会場の大歓声
「ルイ、スクリーン!」「OK!」
2015年5月30日。
その日、碧海町の高浜市体育館は、熱狂的な歓声に包まれ、
シューズの摩擦音が響いていた。
インターハイ予選決勝、残り時間はあと10秒。
1点ビハインドで迎えた、九死に一生の場面。
ポイントガードが
インサイドに切れ込むセンターのミサキにパスを送る。
だが、相手チームの厳しいディフェンスがミサキのシュートを阻んだ。
ボールはリングに嫌われ、無情にもリムを叩いて転がっていく。
その瞬間、私は無意識に動き、ルーズボールに飛び込む。
「ルイ!今よ!セカンドチャンス!」
視界の端に、赤く点滅するショットクロックが見えた。
もう時間がない。
拾い上げたボールを抱え、私は迷わずドライブを仕掛ける。
マークについていた相手フォワードをクロスオーバーで抜き去り、ゴール下へ。
ノーマークだ。
誰もが私のシュートが決まることを確信した。
しかし、放たれたボールは・・・
◾️SE:会場のためいきと大歓声
実況アナウンサーの絶叫が、耳に突き刺さる。
ボールはリングに弾かれ、無情にもアウトオブバウンズ。
その瞬間、試合終了を告げるブザーが、私の心を打ち砕いた。
鼓膜から歓声は消え去り、
凍り付いた時間の中でコートは静まり返る。
チームメイトの慰める声も私の耳には入らない。
ベンチから歩いてくる監督は、作り笑顔の中に落胆した表情が隠せない。
この日を境に、私の心からバスケットボールという言葉は消えた。
あんなに好きだったNBAの試合ですら怖くて見れない。
高校最後の初夏が、私の一番好きなものを奪っていった。
[シーン2:中部国際空港セントレア】
◾️SE:空港のガヤ
「え?忘れ物?
もう〜。帰ろうと思ったのに」
あれから10年後の2025年。
私は高浜から毎日車でセントレアへ通う。
中部国際空港・第1ターミナル1階 総合案内所裏「遺失物取扱所」
通称“ロスト&ファウンド”。
それが私の職場だ。
ガラス越しに見える滑走路と、遠ざかっていく白い機体。
カウンターの奥、仕切られた一角で私は丁寧にグローブをはめた。
目の前の“拾得物預かり票”にボールペンで書き込んでいく。
国内線112便・到着ロビーC付近で拾得。品目・・・
・・・ボール?
え?
ロスト&ファウンドに普段届くのは、財布やスマホ、書類がほとんど。
スポーツ用品が届くのは珍しい。しかも・・・
このサイズ、この形状、このカラーは・・・バスケットボール。
一目見ただけでわかる。
プロ仕様のバスケットボールだ。
深いオレンジ色の革には、使い込まれた証拠の擦れ。
かすかに汗の匂いが染み込んでいる。
「・・・まじか」
ためらいながら、手を伸ばす。
手のひらで感じる感触。
顔を近づけたとき、微かに漂う皮の匂い。
記憶の奥底に封じ込めたはずの感情が、ふいに呼び覚まされる。
ボールのパネルには、筆記体で「E. HERO(イー・ヒーロー)」と刺繍されていた。
その下には、見慣れない猛禽類のマークが縫い付けられている。
どこかのチームロゴだろうか。
高校のとき、あんなに夢中だったNBA。
10年という歳月は、私をここまでバスケから遠ざけちゃったんだな。
名前まで入れて・・
よっぽど大切にしていたボールなんだろう。
なんとか返してあげなくちゃ。
全然気にもとめなかったけど、
何チームかエキシビジョンマッチで来日していたらしい。
「イー・ヒーロー・・・?どっかで聞いたような・・」
その名前が、私の頭の中をかすめた。
ベンチメンバーにそんな名前の選手がいたような・・・
でも、NBAの選手がこんな大事なボールを忘れるか・・・?
[シーン3:ルイの自宅】
◾️SE:自宅の雑踏/ノンアルコールビールを注ぐ音
その夜、私はノンアルコールビールを飲みながら自宅のパソコンで名前を検索した。
(だって私、お酒飲めないんだもん)
検索窓に「E・ヒーロー ・・」と打ち込むと、
「エバン・ヒーロー?」続けて「0(ゼロ)」と表示される。
なにこれ?
ヒットした記事はどれも、彼の短いNBAキャリアと、
ベンチウォーマーとしての不遇な日々を報じていた。
出場機会はほとんどなく、コートに立っても数分で交代。
シュートを放つチャンスすら滅多にない。
「garbage time」に少しだけコートに出させてもらっても
パスを回すだけでシュートを打たせてもらえない。
シュートを打ってもプレッシャーから外してしまう。
エバンの公式プロフィールには「キャリア通算得点:0」という数字が、
冷たく刻まれていた。
なんか、私みたい。
胸の奥が締め付けられるような共感を覚える。
高校最後の試合。
1点のビハインドをひっくり返せるはずだったセカンドチャンス。
得点は、2ではなく、0。
あの日から私はずっと「0」という数字に追いかけられていた。
彼もきっと誰にも理解されない孤独な戦いを続けてきたのだろう。
エバンのボールは、ただの遺失物ではない。
それは、私自身のトラウマを映し出す鏡のようだった。
[シーン4:エバンの泊まる衣浦グランドホテル】
◾️SE:空港の雑踏/朝のイメージ
遺失物取扱所に並べられた、拾得物預かり票。
ロスト&ファウンドの係員として、遺失物の処理には厳格な手順があった。
遺失物法に基づいて、拾得物は警察に届け出る。
公示された後、一定期間、通常は3ヶ月、持ち主が現れなければ、
拾得者のものとなるか、国庫に帰属。
国際空港で拾得された場合は、税関や出入国在留管理局との連携も必要になる。
通常の手続きを踏んでいたら、間に合わない。
エバンが日本に滞在している間に、ボールが彼の元へ戻る可能性は限りなく低い。
彼のチームが日本にいるのは数日間。
その間に手続きが完了するのは極めて難しい。
どうしよう・・・
気がつくと、私はエバンたちが宿泊するホテルの前に立っていた。
手にはまあるく膨らんだバッグ。
バスケットのボールが入ってるってバレバレ。
今年6月にリニューアルオープンした衣浦グランドホテル。
エキシビジョンマッチがおこなわれる高浜市地域交流施設のメインアリーナから
一番近いホテルだ。
駐車場に車を停めて
とりあえずロビーの前まで来たけれど・・
このままだとファンに間違えられそうだな。
フロントに事情を話したら、エバンに連絡をとってくれるだろうか。
しばらく躊躇していると、入口の自動ドアが開いた。
外出から戻ったんだろうか。ひょろっとした1人の白人。その顔は・・・
あ。
「エバン・ヒーロー・・・」
「え?」
エバンは、どうして知っているんだ?という表情で私を見た。
私は、つとめて冷静に、
「忘れ物を届けにきました」”I came to return your lost item.”
「私はセントレアの空港職員です」”I work at Centrair Airport.”
と、英語で伝える。続けざまに、
「バスケのボールを忘れましたよね?」”You forgot your basketball, didn’t you?”
とたんにエバンの顔が曇る。
「よけいなことを・・」”What a stupid thing to do.”
え?いま、なんてった?
確かに英語で「よけいなことを」って。
「そんなものはいらない」”I don’t need it.”
彼はそう吐き捨てると、私に背を向け、そのままロビーの奥へと歩き出す。
「ちょっ、待ってください!」
私は慌てて追いかける。
閉まるエレベータを手で強引に止めて、
「これ、あなたのでしょ。
名前も書いてあるし、チームのロゴも・・・」
私が説明しようとすると、エバンは苛立ったように手を振った。
「そんなものはいらない。どこかに捨ててくれ」”I don’t care, toss it wherever you want.”
えっ?
彼は私の手を払い、エレベータを閉めようとする。
私は、床に落ちたバッグを拾いながら、エレベータの扉にハイヒールの足を突っ込む。
再度開いたドアから、彼を引っ張り出すと、
「ふざけるな!」”Cut it out!”
思わず叫んだ。
今度は私の剣幕に彼が怯む。
「大事なものだと思ったから、ロスト&ファウンドの規約を破って
急いでここまで持ってきたのに!
どっかに捨てたりしたら、こっちは違法行為で職を失うんだよ!」
言葉を挟む間もなく怒鳴り続けたけど、英語、通じてる?
「ロスト&ファウンド・・・」
エバンはしばらく目を見開いて私を見つめていた。
そのあと、危険物を扱うように、私をロビーのソファに誘った。
2人、向かい合ってソファに座る。
私と目が合うと、エバンが口を開いた。
「もう・・・やめるんだ」
「え?」
「NBAから」
「そんな・・・」
それ以上はなにも聞かなかったけど、
エバンはいろんなことを話してくれた。
自分は幼い頃から、NBA選手になることを夢みていた。
夢がかなってドラフトで指名されてから3年。
なんとかプロとして最初の得点を挙げるまで。
「0」をクリアすればなんとかなる。
そう思って頑張ってきたけど。
この秋でもうすぐ4年目を迎える。
限界なんだ。
日本でのエキシビジョンマッチでもしスコアできたら、考え直そうと思ってた。
でも、現実はロスター入りしているものの、全く出場機会がない。
ただの荷物運び。付き人でしかない。
もう私には、かける言葉がなかった。
「日本なんて大嫌いだ」
「なに?今度はそっち?」
エバンの口からさらに新しい感情が次々と吹き出してくる。
彼が入団したとき、彼の親友もほかのチームに入団したらしい。
入団後は、親友もエバンと同じようにゼロスコアで苦しんでいた。
それでもプレイオフで2人が対戦できる日まで互いに頑張ろう、
と励まし合っていたそうだ。
ところがある年、
親友に日本のプロリーグからオファーが届く。
予想に反して彼は誘いをあっさりと受け入れ、アメリカを去って行った。
以来、エバンは日本が大嫌い、アンチ・ジャパンなんだと。
いろんなことがトラウマになってるんだ。
かわいそうに。
「もう・・・終わりにしてもいいだろ」
何も言えない。
彼はひざの上に抱えていた忘れ物のボールを私に渡した。
「もらってくれないか。
なんなら譲渡証明書にサインするぜ」
皮肉な笑顔がひきつっている。
「エキシビジョンマッチのチケットもよかったらやるよ」
「ありがとう。
でも夜勤のシフトだからいけないわ」
「そうか。まあ紙クズになってもいいから」
結局、来たときと同じようにボールを持って、私は高浜へ帰った。
手には、裸のままのチケットを握りしめながら。
[シーン5:セントレアと高浜市地域交流施設のメインアリーナ】
◾️SE:空港の雑踏/夜のイメージ
もうすぐ午後7時。
そろそろ試合開始のホイッスルが鳴るころね。
って、ま、関係ないか。
エバンはベンチ入りしてても、どうせ出場機会なんてないんだから。
黙々と夜勤の仕事をこなす。
気にしてるつもりなんて全然ないんだけど、なんか今夜は効率が悪いな。
ケアレスミスが多い。
上司からは、
”体調悪そうだし、あがってもいいよ”
なんて言われる始末。
いやいや。
いくつもりなんてないから。
メインアリーナ。
◾️SE:メインアリーナ/観客の歓声
◾️ここからのモノローグは客観視で
メインアリーナの中はクーラーが効かないほど、熱気に包まれていた。
第4クォーター残り5分。
ベンチに座るエバンの表情は暗い。
序盤に大差でリードしながら、相手チームに追い上げられついにひっくり返された。
チームは1点のビハインド。
パワフルなドライブが持ち味のスモールフォワードが、
レイアップシュートを放って着地。
その瞬間、相手チームのセンターの足首を踏み、バランスを崩してフロアに倒れ込んだ。
メディカルスタッフが駆け寄る。
エースは顔を歪めながら担架でコートから運ばれていった。
チームの要の離脱に、観客席からはどよめきが起こる。
そのあと、選手交代のアナウンスで呼ばれた名前は、
なんとエバン・ヒーローだった。
静かに、しかし確かな拍手がまばらにわき起こる。
コートに立ったエバンは、やっぱり・・精彩がない。
パスミス、守備の遅れ・・・。
相手チームの選手たちは、ベンチウォーマーのエバンなどノーマーク。
存在を無視するかのようにプレーする。
チームの仲間ですら、エバンにはボールを積極的に回そうとしなかった。
まるで透明人間になったかのように、エバンはコートをただ走り続ける。
観客席からも、失望のため息が漏れ始めた。
エバンが唇を噛んだそのとき・・・
「なにやってんだ!エバン!しっかりしろ〜!」
歓声よりも、さらにものすごく大きな声が響き渡った。
「ル、ルイ!?」
私は、右手でエバンのボールを高々と上げて大声で叫ぶ。
「ゴー!エバン!ゴー!」
相手チームが失笑する隙をつくように
味方チームのエースガードが、果敢にドライブイン。
厳しいディフェンスに阻まれながらも、フローターシュートを放つ。
しかし、ボールはリングに嫌われ、無情にもリムを叩いた。
まるで導かれるかのように、ゴール下のエバンの方へと転がっていく。
デジャブのような風景。
それは過去の亡霊を追い払う瞬間。
「エバン!セカンドチャ〜ンス!」
エバンは迷うことなく、ボールをしっかりとキャッチ。
相手ディフェンスの反応が一瞬遅れるなか、渾身の力を込めて、高く跳び上がった。
ジャンピングシュート!
ボールは放物線を描き、吸い込まれるようにネットを揺らした。
◾️SE:ゴールインの音「スパッ」/観客の大歓声
一瞬の静寂の後、爆発的な大歓声に包まれた。
キャリア初の得点は奇跡のセカンドチャンス。
エバンは人生で初めて、コートで感情を爆発させていた。
[シーン6:セントレアでのお別れ】
◾️SE:空港の雑踏
「ルイ、ありがとう」
「私ったら最低だわ」
「え?なんで?」
「ゆうべ私体調不良で夜勤を早退きしたのよ。
なのに、あんな大きな声だして。
しかもケーブルテレビの生中継に映っちゃったじゃん。
夜のスポーツニュースでもリプレイされてた。
もう明日から職場にいけない」
「ははは(笑)。じゃあ、アメリカにおいでよ」
「ええっ?」
「住むとこくらい用意するから」
「冗談でしょ。またバスケに囲まれて暮らすの?」
「そこまでは言ってないけど」
「あ・・」
「そうだといいな」
「もう〜。
あ、そうだ。忘れるまえに・・
はい、これ」
「あ」
「大切なボール、もう置き忘れないでね。
これからはずっと必要でしょ」
「うん、ありがとう」
「がんばって」
「ルイも」
「うん」
「バイ」
エバンは笑顔で帰っていった。
もしかしたら、近いうちに、私もこの飛行機に乗るのかもしれない。
海に沈む夕陽の中を白い機体が大空へ飛び立っていった。